OESの歴史は2世紀しかたっていません、他の犬種と比べて、古さを誇り比べる事はできません
その起源の根拠として1770年に、バックリー侯爵が描いたゲインバローの絵がありますが、その絵を見ると
現在のOESとは、かなり違いがある様に見えます、でも侯爵が両腕の中に抱いている犬がこの犬種の,人に
知られている最も古い絵である事は確かな様です。
OES作出には、コトリスオズピマエ、ベルジャンシープドッグ、シェパード、コリーの血統と、
作出の中でもプーリー、ベアテッドコリーがOESを作り出すのに大変大きな役割を演出したとも言われます。
18世紀に家畜商の犬として、市場へ羊を追っていくのに主として使われていました。
現在でもその習性を十分に残しています、低い「ワン」と言う吠え方、連続的に泣かない、
又、お尻から体をぶつけるしぐさは羊をびっくりさせない為です。
この商人達は税を免じられており、その職業を証明する為、尾が切られたのです。
それ以来別名BOBTEIL(切り尾)とも呼ばれる様になったのです。
それ以降、温和で愛情細やかで怜悧である事を人々が知り、現在の家庭犬となってきたのです。
《日本でのOESの歴史》
オールド・イングリッシュ・シープドッグと一度では覚えて頂けない、この犬はむしろダレ犬とか
ムク犬と呼ぶ人が、主でした。
しかし、最近ではオールドと声を掛けてくれる方が多くなってきました。でも”オールド”の歴史は古くありません。
日本には1950年頃入って来ています、米国のアンダーソン氏が、ROCKEYとANNYの2頭をペットとして、
日本に上陸させました。
この2頭が見本となり、その子犬がオスをPEATER.YAMAMOTOと、メスの一つをMERRY OF TAIHEIRAKUと
もう一頭を、URBIE OF RALLYRAUNDとしました。
1961年秋季本部展で、ただ一頭のOESが参加デビューを飾ったのです、
その犬がCH・エムエス.シルク.アリアンジョーと言うOESであります。
これまでは近親繁殖であり、あまりよいOESを作出する事ができずにいました。
この頃から、外産犬も、日本に少ない数ではありますが輸入されるようになってきました。1968年には、
イギリスの有名犬EngCH・PERRYWOOD・SANNYBOYの血を引くGOLDENARROW・HONESTYが輸入されました。
もう一頭LIGONIEL・SKEPPIBOYの直子BOBBYSOX・BLUE・GIRLが入って来ました。
1969年には、アメリカよりベギー・ジョーズ・アポロが入ってきました。
1980年には、全米NO.1のAm.Can.CH BAHLAM’S BEACH BAMが入って来て、
日本にも素晴らしいOESができるようになって来ました。
その後、Am.CH トジョ’ズ フライング ダッチマン、CH アンナ オブ ザ スター、Am.CHラッチャー ザ リングマスター、
Am.CH ライク クラスト ドゥーボーイ、Am.CH バーラム’ズ ビロクシー ブルースなどが綿密な繁殖計画に合わせて、
よりよいOESを作出する為に輸入されています。
そのOESが最近テレビのコマーシャル等で活躍しその存在を多くの人々に認められファンが増すということは、
私達にとって嬉しい限りです
ここで今日までOESの普及にご尽力をいただいてきた諸先輩の皆様に深く敬意を表します。
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